BLOG作成・2006/10/2
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ねじれ国会で先行きは不安ですが、とにもかくにも新しい首相が誕生しました。
色々と言いたいことや思うところはありますが、そんな細かいことはこのさいどうでもいいです。
とにかく国民が暮らし易い国にしてくれれば。
そのためにも政治と金の問題には、しっかりと決着をつけて、社会保険庁の体質を改善して、きちんと年金を支払うことでしょう。
それができなれければ、仕事をしているとは認められないと思います。
また参議院ではおそらく衆議院の議案に徹底して反対してくるでしょうが、国民のためを本当に思うなら、しっかり中身を吟味して賛成するところは賛成して欲しいと思います。
私個人としては、正直首相が誰であろうが、与党がどの党であろうが、真っ当に政治をしてくれるなら問いません。
ここ最近は政治を仕事にするはずの人達が、まともに仕事をしているのを見たことがありませんから。
まずはしっかり仕事をしてくれることを望みます。
まあとりあえずは、どんなことをしてくれるのかしばらくは様子を見ましょう。
そして次の大臣が1週間で辞めるなんてことがないことを祈るばかりです。
色々と言いたいことや思うところはありますが、そんな細かいことはこのさいどうでもいいです。
とにかく国民が暮らし易い国にしてくれれば。
そのためにも政治と金の問題には、しっかりと決着をつけて、社会保険庁の体質を改善して、きちんと年金を支払うことでしょう。
それができなれければ、仕事をしているとは認められないと思います。
また参議院ではおそらく衆議院の議案に徹底して反対してくるでしょうが、国民のためを本当に思うなら、しっかり中身を吟味して賛成するところは賛成して欲しいと思います。
私個人としては、正直首相が誰であろうが、与党がどの党であろうが、真っ当に政治をしてくれるなら問いません。
ここ最近は政治を仕事にするはずの人達が、まともに仕事をしているのを見たことがありませんから。
まずはしっかり仕事をしてくれることを望みます。
まあとりあえずは、どんなことをしてくれるのかしばらくは様子を見ましょう。
そして次の大臣が1週間で辞めるなんてことがないことを祈るばかりです。
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昨日の勢いで、今日も命についての考察です。
私自身、最近生きるとはどいうことかというのを考えることがありますし、実感するものがあります。
過労で立ったまま気を失った時、本当に死にそうになりました。
今時間も経ったので冗談みたいに言える話ですが、当時は本当に大変でした。
その後顔面を負傷し、不幸中の幸いで致命傷ではなかったものの、緊急手術を受け、1日の検査入院のあとしばらく通院しています。
たまたま倒れたところが良かったですが、ガラス戸の直ぐ脇でしたし、一歩間違えれば本当に危なかったです。
しかもこれはその場に居合わせた人から教えてもらった情報で、私の記憶は一切ありません。
その日一日の記憶をまるまるなくし、気がついた時はベッドの上というありさまでしたから。
ですがその経験があって、今生きるということを強く実感しています。
楽しいことがあったら笑いますし、悲しいことがあったら泣きますし、嬉しいことも辛いことも色々あります。
それらすべては、自分が生きているということを実感させてくれるものなんだ、ということに気がつきました。
ちゃんと生きていないとそれは感じることができないです。
生きているからこそそんなことも考えられるのですが、普段それは当たり前すぎで、なかなか気付かないものです。
2度と倒れることは経験したくありませんが、ある意味で貴重な経験でもありました。
だから私にとって身に起こる出来事は全て、生きていると実感できるものです。
だから一時苦しい、悲しいと感じても、生きることが辛いと思ったことは今はありません。
何故なら、それが間違いなく生きているという証明になりますから。
バーチャルな世界、命では決して感じることのできないものです。
同時に人はいつ死ぬか分からないということも理解しました。
本当に運が良かったからこうしていられますが、一歩間違えばこうして独り言を呟くこともできていませんでした。
たらればの世界ですが、大げさでなく事実です。
だから私は、もし明日死ぬとしても、後悔がないように、全力で今という時間をしっかりと生きたいと思います。
生きるということは、本当はそれくらい貴重なものだということを、私はしかと胸に刻んで、これからも頑張っていきます。
私自身、最近生きるとはどいうことかというのを考えることがありますし、実感するものがあります。
過労で立ったまま気を失った時、本当に死にそうになりました。
今時間も経ったので冗談みたいに言える話ですが、当時は本当に大変でした。
その後顔面を負傷し、不幸中の幸いで致命傷ではなかったものの、緊急手術を受け、1日の検査入院のあとしばらく通院しています。
たまたま倒れたところが良かったですが、ガラス戸の直ぐ脇でしたし、一歩間違えれば本当に危なかったです。
しかもこれはその場に居合わせた人から教えてもらった情報で、私の記憶は一切ありません。
その日一日の記憶をまるまるなくし、気がついた時はベッドの上というありさまでしたから。
ですがその経験があって、今生きるということを強く実感しています。
楽しいことがあったら笑いますし、悲しいことがあったら泣きますし、嬉しいことも辛いことも色々あります。
それらすべては、自分が生きているということを実感させてくれるものなんだ、ということに気がつきました。
ちゃんと生きていないとそれは感じることができないです。
生きているからこそそんなことも考えられるのですが、普段それは当たり前すぎで、なかなか気付かないものです。
2度と倒れることは経験したくありませんが、ある意味で貴重な経験でもありました。
だから私にとって身に起こる出来事は全て、生きていると実感できるものです。
だから一時苦しい、悲しいと感じても、生きることが辛いと思ったことは今はありません。
何故なら、それが間違いなく生きているという証明になりますから。
バーチャルな世界、命では決して感じることのできないものです。
同時に人はいつ死ぬか分からないということも理解しました。
本当に運が良かったからこうしていられますが、一歩間違えばこうして独り言を呟くこともできていませんでした。
たらればの世界ですが、大げさでなく事実です。
だから私は、もし明日死ぬとしても、後悔がないように、全力で今という時間をしっかりと生きたいと思います。
生きるということは、本当はそれくらい貴重なものだということを、私はしかと胸に刻んで、これからも頑張っていきます。
今日は新しい自民党の総裁が決まりましたが、決まったばかりでまだあまり情報が入ってこないので、これについては明日以降で。
今日は光市の母子殺害の差戻審議について、私なりに色々と考えました。
最大の焦点は、元少年は死刑になるか否かになると思います。
それについては様々なご意見等あると思いますが、私個人としては死刑が良いのではと思います。
無期懲役というのは、反省して公正する可能性のある犯罪者に適応すべきであって、あの元少年は、ニュース等見ている限りではそれに値しない気がしてなりません。
家族を殺された遺族の方にとってみれば、当然の怒りだと思います。
でも死刑はそうそうあってはならないものだ、という思いも私の中にはあります。
というのは死刑ということは、犯罪者であってもその人を殺すということであり、それを実行したからと被害者が戻ってくるわけでもないので、やはり殺されて当然の命、仕方の無い命というのはあってはならないと確信しています。
ですが、抑止力という意味では、死刑というのは必要ではというのが私の持論です。
ただでさえ少年犯罪が横行する世の中です。
悲しいかな、そういった厳罰という抑止力がなければ、凶悪化する犯罪の歯止めはおろか、減少にすらつなげないのが現状です。
とても情けなく、悔しい話なんですが。
だから制度そのものを無くすということは反対なのです。
加えて、反省する様子の見えない犯罪者は、断固として厳罰すべきだと思います。
もしそんな犯罪者が世に出て、また犯罪を犯したら、どうしますか?
反省の態度が見えない犯罪者の再犯歴はほぼ100%です。
つまり必ずまた犯罪を犯すわけです。
そんな人が普通の人と同じように街中を歩いているのかと想像すると、背筋がゾッとします。
寛大な心の持ち主の方はそれでも良いのでしょうが、私は耐え切れそうもありません。
そんな社会復帰が不可能な人が世の中に戻ってきては、それこそ遺族の方の心が救われることがないでしょう。
また元少年が家庭の事情で心に傷を負っていたといいますが、それが人を殺していい理由にはならないでしょう。
弁護側はそういったことも大いに主張しているようですが、元少年の過去には同情もしますが、それでもそのせいで殺された人のことを思うと、かわいそうだから許してやろうという気持ちにはなれません。
それで刑が軽くなるのなら、ほとんどの凶悪犯罪者は刑を免れるという事態にもなりかねないのではと思います。
心が狭い奴だと思われても、犯罪者の命といえども軽くないですが、その犯罪者に殺された人の命ももっと軽くないですから。
これからその人に奪われる可能性のある命があるということも考えると、今回の差戻審議はやはり納得がいかないものであります。
今回のことのみならず、今の世の中、人の命の価値というのがどんどん軽んじられている気がしてなりません。
仕事でも機械化が進み、人の手を必要としない作業が増えてきました。
結果コスト削減やらなんやらで、まともな職に就けない人が、所謂派遣業務で何とか食いつなぐ人の多いこと。
いつから人は人の命を、まるで消耗品のように扱うようになったのでしょうか。
死刑うんぬんを論じる前に、弁護士の方も、我々一般市民も、そのことをもう一度考え直した方がよいかも知れません。
今日は光市の母子殺害の差戻審議について、私なりに色々と考えました。
最大の焦点は、元少年は死刑になるか否かになると思います。
それについては様々なご意見等あると思いますが、私個人としては死刑が良いのではと思います。
無期懲役というのは、反省して公正する可能性のある犯罪者に適応すべきであって、あの元少年は、ニュース等見ている限りではそれに値しない気がしてなりません。
家族を殺された遺族の方にとってみれば、当然の怒りだと思います。
でも死刑はそうそうあってはならないものだ、という思いも私の中にはあります。
というのは死刑ということは、犯罪者であってもその人を殺すということであり、それを実行したからと被害者が戻ってくるわけでもないので、やはり殺されて当然の命、仕方の無い命というのはあってはならないと確信しています。
ですが、抑止力という意味では、死刑というのは必要ではというのが私の持論です。
ただでさえ少年犯罪が横行する世の中です。
悲しいかな、そういった厳罰という抑止力がなければ、凶悪化する犯罪の歯止めはおろか、減少にすらつなげないのが現状です。
とても情けなく、悔しい話なんですが。
だから制度そのものを無くすということは反対なのです。
加えて、反省する様子の見えない犯罪者は、断固として厳罰すべきだと思います。
もしそんな犯罪者が世に出て、また犯罪を犯したら、どうしますか?
反省の態度が見えない犯罪者の再犯歴はほぼ100%です。
つまり必ずまた犯罪を犯すわけです。
そんな人が普通の人と同じように街中を歩いているのかと想像すると、背筋がゾッとします。
寛大な心の持ち主の方はそれでも良いのでしょうが、私は耐え切れそうもありません。
そんな社会復帰が不可能な人が世の中に戻ってきては、それこそ遺族の方の心が救われることがないでしょう。
また元少年が家庭の事情で心に傷を負っていたといいますが、それが人を殺していい理由にはならないでしょう。
弁護側はそういったことも大いに主張しているようですが、元少年の過去には同情もしますが、それでもそのせいで殺された人のことを思うと、かわいそうだから許してやろうという気持ちにはなれません。
それで刑が軽くなるのなら、ほとんどの凶悪犯罪者は刑を免れるという事態にもなりかねないのではと思います。
心が狭い奴だと思われても、犯罪者の命といえども軽くないですが、その犯罪者に殺された人の命ももっと軽くないですから。
これからその人に奪われる可能性のある命があるということも考えると、今回の差戻審議はやはり納得がいかないものであります。
今回のことのみならず、今の世の中、人の命の価値というのがどんどん軽んじられている気がしてなりません。
仕事でも機械化が進み、人の手を必要としない作業が増えてきました。
結果コスト削減やらなんやらで、まともな職に就けない人が、所謂派遣業務で何とか食いつなぐ人の多いこと。
いつから人は人の命を、まるで消耗品のように扱うようになったのでしょうか。
死刑うんぬんを論じる前に、弁護士の方も、我々一般市民も、そのことをもう一度考え直した方がよいかも知れません。
予定通り、本日最終話を更新です。
いやあ、我ながら1年間よくここまで続けたな、と思います。
自分が好きでやってきたことなのですが、1人では続けられなかったと思います。
続けることの大変さと、応援してくださる方の存在のありがたさを実感しました。
ここまでお付き合いをくださいました皆様、本当にありがとうございます。
全体統括はお知らせにて。
ここでは、最終話のあとがき、もとい言い訳を。
ラストということで、エンディングエピソードとして結婚式のお話です。
色々とありましたが、生き残った奴には幸せになる権利以上に、幸せになる義務があるというのが私の考えです。
なのでそんな2人が幸せになるように、他人の幸せを守るために頑張れるように、とこの話にしました。
前回の出産、今回の結婚と私にはまだ縁の無い話ですが、それを経験した友人達は皆一様に幸せそうな笑顔が溢れていました。
そんな雰囲気が伝わればいいなと思います。
途中悲喜こもごもありましたが、ラストはハッピーエンドという形で締めくくれたのは、私にとっても納得です。
反省するところは反省しつつ、次回もこんな作品が書けたらと思います。
長々とありがとうございました。
そしてこれからも、「陽炎の末裔」をよろしくお願い致します。
いやあ、我ながら1年間よくここまで続けたな、と思います。
自分が好きでやってきたことなのですが、1人では続けられなかったと思います。
続けることの大変さと、応援してくださる方の存在のありがたさを実感しました。
ここまでお付き合いをくださいました皆様、本当にありがとうございます。
全体統括はお知らせにて。
ここでは、最終話のあとがき、もとい言い訳を。
ラストということで、エンディングエピソードとして結婚式のお話です。
色々とありましたが、生き残った奴には幸せになる権利以上に、幸せになる義務があるというのが私の考えです。
なのでそんな2人が幸せになるように、他人の幸せを守るために頑張れるように、とこの話にしました。
前回の出産、今回の結婚と私にはまだ縁の無い話ですが、それを経験した友人達は皆一様に幸せそうな笑顔が溢れていました。
そんな雰囲気が伝わればいいなと思います。
途中悲喜こもごもありましたが、ラストはハッピーエンドという形で締めくくれたのは、私にとっても納得です。
反省するところは反省しつつ、次回もこんな作品が書けたらと思います。
長々とありがとうございました。
そしてこれからも、「陽炎の末裔」をよろしくお願い致します。
なかなか仕事が進みません。
いや進んでいるんですが、色々とトラブルにも巻き込まれて、予定より遅れてしまいました。
来週もちょっと忙しそうです。
まあ私の仕事がら、この時期の作業が最も大事なので、気持ちを引き締めて頑張りたいと思います。
しかし仕事が忙しいと、どうしてもゆっくり日記のネタを考えることができません。
新しい総裁のことや、消費税の問題、年金の問題、光市母子殺害事件のこと等、気になる問題はあるのですが、じっくりと考察することができていません。
この辺はたぶん色々と考えないといけないことですから、今の仕事が片付いたら、またきちんと考察したいと思います。
あ、明日の更新は大丈夫です。
話はできあがってますから。
ただ、今日は仕事だからまだ起きましたけど、明日朝起きられるかだけが心配です。
いや進んでいるんですが、色々とトラブルにも巻き込まれて、予定より遅れてしまいました。
来週もちょっと忙しそうです。
まあ私の仕事がら、この時期の作業が最も大事なので、気持ちを引き締めて頑張りたいと思います。
しかし仕事が忙しいと、どうしてもゆっくり日記のネタを考えることができません。
新しい総裁のことや、消費税の問題、年金の問題、光市母子殺害事件のこと等、気になる問題はあるのですが、じっくりと考察することができていません。
この辺はたぶん色々と考えないといけないことですから、今の仕事が片付いたら、またきちんと考察したいと思います。
あ、明日の更新は大丈夫です。
話はできあがってますから。
ただ、今日は仕事だからまだ起きましたけど、明日朝起きられるかだけが心配です。