BLOG作成・2006/10/2
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昨日の勢いで、今日も命についての考察です。
私自身、最近生きるとはどいうことかというのを考えることがありますし、実感するものがあります。
過労で立ったまま気を失った時、本当に死にそうになりました。
今時間も経ったので冗談みたいに言える話ですが、当時は本当に大変でした。
その後顔面を負傷し、不幸中の幸いで致命傷ではなかったものの、緊急手術を受け、1日の検査入院のあとしばらく通院しています。
たまたま倒れたところが良かったですが、ガラス戸の直ぐ脇でしたし、一歩間違えれば本当に危なかったです。
しかもこれはその場に居合わせた人から教えてもらった情報で、私の記憶は一切ありません。
その日一日の記憶をまるまるなくし、気がついた時はベッドの上というありさまでしたから。
ですがその経験があって、今生きるということを強く実感しています。
楽しいことがあったら笑いますし、悲しいことがあったら泣きますし、嬉しいことも辛いことも色々あります。
それらすべては、自分が生きているということを実感させてくれるものなんだ、ということに気がつきました。
ちゃんと生きていないとそれは感じることができないです。
生きているからこそそんなことも考えられるのですが、普段それは当たり前すぎで、なかなか気付かないものです。
2度と倒れることは経験したくありませんが、ある意味で貴重な経験でもありました。
だから私にとって身に起こる出来事は全て、生きていると実感できるものです。
だから一時苦しい、悲しいと感じても、生きることが辛いと思ったことは今はありません。
何故なら、それが間違いなく生きているという証明になりますから。
バーチャルな世界、命では決して感じることのできないものです。
同時に人はいつ死ぬか分からないということも理解しました。
本当に運が良かったからこうしていられますが、一歩間違えばこうして独り言を呟くこともできていませんでした。
たらればの世界ですが、大げさでなく事実です。
だから私は、もし明日死ぬとしても、後悔がないように、全力で今という時間をしっかりと生きたいと思います。
生きるということは、本当はそれくらい貴重なものだということを、私はしかと胸に刻んで、これからも頑張っていきます。
私自身、最近生きるとはどいうことかというのを考えることがありますし、実感するものがあります。
過労で立ったまま気を失った時、本当に死にそうになりました。
今時間も経ったので冗談みたいに言える話ですが、当時は本当に大変でした。
その後顔面を負傷し、不幸中の幸いで致命傷ではなかったものの、緊急手術を受け、1日の検査入院のあとしばらく通院しています。
たまたま倒れたところが良かったですが、ガラス戸の直ぐ脇でしたし、一歩間違えれば本当に危なかったです。
しかもこれはその場に居合わせた人から教えてもらった情報で、私の記憶は一切ありません。
その日一日の記憶をまるまるなくし、気がついた時はベッドの上というありさまでしたから。
ですがその経験があって、今生きるということを強く実感しています。
楽しいことがあったら笑いますし、悲しいことがあったら泣きますし、嬉しいことも辛いことも色々あります。
それらすべては、自分が生きているということを実感させてくれるものなんだ、ということに気がつきました。
ちゃんと生きていないとそれは感じることができないです。
生きているからこそそんなことも考えられるのですが、普段それは当たり前すぎで、なかなか気付かないものです。
2度と倒れることは経験したくありませんが、ある意味で貴重な経験でもありました。
だから私にとって身に起こる出来事は全て、生きていると実感できるものです。
だから一時苦しい、悲しいと感じても、生きることが辛いと思ったことは今はありません。
何故なら、それが間違いなく生きているという証明になりますから。
バーチャルな世界、命では決して感じることのできないものです。
同時に人はいつ死ぬか分からないということも理解しました。
本当に運が良かったからこうしていられますが、一歩間違えばこうして独り言を呟くこともできていませんでした。
たらればの世界ですが、大げさでなく事実です。
だから私は、もし明日死ぬとしても、後悔がないように、全力で今という時間をしっかりと生きたいと思います。
生きるということは、本当はそれくらい貴重なものだということを、私はしかと胸に刻んで、これからも頑張っていきます。
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