BLOG作成・2006/10/2
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阪急などの一部私鉄では、全ての座席は優先座席だ、というコンセプトの元、優先座席を廃止して、譲り合いの運動をしてきました。
これは人の心にある善なるものに訴えかけた”性善説”に由来したものですが、残念ながら、その願いは届かなかったようです。
本来優先座席に譲られるべきお年よりの方から、譲られることがなくなったという苦情、意見の数が日に日に増しているとか。
そしてついに、一部の私鉄では優先座席が復活するということになりました。
残念なことです。
本来人が持っていた譲り合いの精神は一体どこへ行ってしまったのか。
優先座席でなければ席を譲れないのは、悲しいことだと思う私は変でしょうか。
この結果が意味するところは、人は本来善なるものではない、ということに他ならないのですが。
今ある法律はやはり、善なる人を守るためにあるのではなく、悪なる人を裁くためにあるのだと痛感しています。
悪いことをすると罰せられる。
だから悪いことをするな、という抑止力としての法律ですね。
根本にあるのは、どうやらそちらのようです。
だとすれば、裁判等で被害者の人権が守られないといった問題が出るのは当然なのかも知れません。
そもそも悪を裁き、罰し、成敗するための法律に、弱者を救うと言う特性を求めることは難しいからです。
2つはそうそう相成れるものではありませんから。
でもだからといって、それらをしょうがないですませることを、例え悪足掻きだとしても、私は拒否します。
人は学び、考え、変わることができる生き物なのですから。
悪いことは悪いと言う気持ちは捨てたくはありませんが、もう少し人という存在を、私はもっと善にもなれると過信したいです。
これは人の心にある善なるものに訴えかけた”性善説”に由来したものですが、残念ながら、その願いは届かなかったようです。
本来優先座席に譲られるべきお年よりの方から、譲られることがなくなったという苦情、意見の数が日に日に増しているとか。
そしてついに、一部の私鉄では優先座席が復活するということになりました。
残念なことです。
本来人が持っていた譲り合いの精神は一体どこへ行ってしまったのか。
優先座席でなければ席を譲れないのは、悲しいことだと思う私は変でしょうか。
この結果が意味するところは、人は本来善なるものではない、ということに他ならないのですが。
今ある法律はやはり、善なる人を守るためにあるのではなく、悪なる人を裁くためにあるのだと痛感しています。
悪いことをすると罰せられる。
だから悪いことをするな、という抑止力としての法律ですね。
根本にあるのは、どうやらそちらのようです。
だとすれば、裁判等で被害者の人権が守られないといった問題が出るのは当然なのかも知れません。
そもそも悪を裁き、罰し、成敗するための法律に、弱者を救うと言う特性を求めることは難しいからです。
2つはそうそう相成れるものではありませんから。
でもだからといって、それらをしょうがないですませることを、例え悪足掻きだとしても、私は拒否します。
人は学び、考え、変わることができる生き物なのですから。
悪いことは悪いと言う気持ちは捨てたくはありませんが、もう少し人という存在を、私はもっと善にもなれると過信したいです。
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