BLOG作成・2006/10/2
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現在朝6時、帰宅してから数時間、何とか話もまとめられてUpできました。
今日のお話は、初めて地球に降りて、その自然の雄大さに触れるというお話です。
私自身も忘れがちになりそうですが、地球というのは本来人がコントロールできるようなものではありません。
時に厳しく、暴風雨や豪雪などで試練を与えることもあります。
その度に自然の恐ろしさなどを感じているはずです。
それでも地球が我が物であるかのような顔で振舞うのは、どうなんでしょうか。
もう少し厳かというか畏怖というか、そんな気持ちを持って接した方が良いなと反省します。
でもそんな自然だからこそ、自然の雄大さみたいなもの、美しさを感じることがあるのだとも思います。
私事ですが、そんな地球の自然を思い返し、また改めて人として少しずつでも自分が出来ることをしていく、ということを自分に言い聞かせる意味でも、このような話になりました。
それにもし自分に子供が出来たとして、こんな美しい自然を残して、伝えたいとも思います。
でないと自分達がしきたことに胸を張って教えることも出来ないですし、子供達に明るい未来が訪れるとは思えませんから。
そんな大きなことでなくて良いと思います。
小さくても自分の手が届く範囲で、環境問題について向き合って考え、やれることをやっていきます。
今日のお話は、初めて地球に降りて、その自然の雄大さに触れるというお話です。
私自身も忘れがちになりそうですが、地球というのは本来人がコントロールできるようなものではありません。
時に厳しく、暴風雨や豪雪などで試練を与えることもあります。
その度に自然の恐ろしさなどを感じているはずです。
それでも地球が我が物であるかのような顔で振舞うのは、どうなんでしょうか。
もう少し厳かというか畏怖というか、そんな気持ちを持って接した方が良いなと反省します。
でもそんな自然だからこそ、自然の雄大さみたいなもの、美しさを感じることがあるのだとも思います。
私事ですが、そんな地球の自然を思い返し、また改めて人として少しずつでも自分が出来ることをしていく、ということを自分に言い聞かせる意味でも、このような話になりました。
それにもし自分に子供が出来たとして、こんな美しい自然を残して、伝えたいとも思います。
でないと自分達がしきたことに胸を張って教えることも出来ないですし、子供達に明るい未来が訪れるとは思えませんから。
そんな大きなことでなくて良いと思います。
小さくても自分の手が届く範囲で、環境問題について向き合って考え、やれることをやっていきます。
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昨晩から出張に行っておりました。
仕事が終わってからそのまま家に戻らず、出張先で1泊して、早朝からお客様のところへ。
そして終わったら夕方に会社に戻って、結果を報告して帰宅と、なかなかバタバタした1日でした。
そんなわけで結構疲れた感じです。
移動は基本的に座っているだけなんですが、同じ体勢で長くいるということは、存外体力を使うものです。
なので出張で遠くへ良くというのは疲れます。
そして今月はこれで3度目ですね。
毎週出張に行っております。
来週も出張があります。
どうゆうわけか自分の家以外ではぐっすり眠れないので、それも疲れが溜まる要因です。
後自分のせいもあるのですが、飲み会等々があってここ1週間ほどは眠れてないのもマズイですね。
でも明日も朝から日付が変わるまでサポートが入るので、やっぱりゆっくり眠れない・・・。
でも、私も仕事をしてそれでお金を貰っている所謂『プロ』ですから、その辺は自覚と責任をもって頑張りますよ。
やっぱり大企業であろうと中小企業であろうと、自分の行動に対して対価を貰うというのはプロフェッショナルであることだと思います。
例えば携帯電話を買うとき、何か聞きたいことがあれば店員さんに聞くと思いますが、それに対してちゃんと答えてくれないと不満に思いますよね。
それは相手を意識していなくても、『プロ』として見ているからです。
仕事をするということは、特にお客様はこちらをそう見ています。
ですから、そこはしっかりと責任を持ちたいと思います。
でももちろん自分の体は資本で一番大事ですので、そこのケアも充分注意しますよ。
プロとしてはそれも重要なことの一つですから。
仕事が終わってからそのまま家に戻らず、出張先で1泊して、早朝からお客様のところへ。
そして終わったら夕方に会社に戻って、結果を報告して帰宅と、なかなかバタバタした1日でした。
そんなわけで結構疲れた感じです。
移動は基本的に座っているだけなんですが、同じ体勢で長くいるということは、存外体力を使うものです。
なので出張で遠くへ良くというのは疲れます。
そして今月はこれで3度目ですね。
毎週出張に行っております。
来週も出張があります。
どうゆうわけか自分の家以外ではぐっすり眠れないので、それも疲れが溜まる要因です。
後自分のせいもあるのですが、飲み会等々があってここ1週間ほどは眠れてないのもマズイですね。
でも明日も朝から日付が変わるまでサポートが入るので、やっぱりゆっくり眠れない・・・。
でも、私も仕事をしてそれでお金を貰っている所謂『プロ』ですから、その辺は自覚と責任をもって頑張りますよ。
やっぱり大企業であろうと中小企業であろうと、自分の行動に対して対価を貰うというのはプロフェッショナルであることだと思います。
例えば携帯電話を買うとき、何か聞きたいことがあれば店員さんに聞くと思いますが、それに対してちゃんと答えてくれないと不満に思いますよね。
それは相手を意識していなくても、『プロ』として見ているからです。
仕事をするということは、特にお客様はこちらをそう見ています。
ですから、そこはしっかりと責任を持ちたいと思います。
でももちろん自分の体は資本で一番大事ですので、そこのケアも充分注意しますよ。
プロとしてはそれも重要なことの一つですから。
今日は気分が沈みそうなことばかり書いています。
読まれる方は、その辺をご注意ください。
仕事がうまくいかないことって多々あります。
人間ですから、全てを完璧にすることなんて出来ません。
まして私のような能力の無い人間は、相当努力しないととてもではないですが、まともに仕事なんて出来やしません。
とにかく人の3倍は頑張らないと、他の人と同じようには出来ないんです。
勉強でも運動でもそうでした。
今もそうですね。
でも努力は嫌いな人なんです。
基本的に自分に才能は無いと諦めているので、努力をすることは無駄だと思っているので。
というわけですので、当然出来ることなんてあるわけないですね。
もう救いようが無いダメ人間です。
私は自分を形容するならば、偽善者、臆病者、無能者、自己中心、現実逃避、ってのが似合ってると思います。
こんなんで何で生きているんでしょうかね。
生きている価値も意味ものに。
では何で生きているのかと言うと、死ぬのが怖いから。
それ以外の理由はありません(キッパリ!)
生きていてそれ以上のことって無いのに、無理に生きている必要も無いと思いますから。
生きていると色々と楽しいと思うこともありますし、辛い、悲しいと思うこともあります。
でもそれは全て生きているからこそ感じることであり、と言うことは生きていないと何も感じられないわけですから、生きていること以上に良いことも悪いこともありえないはずなのです。
本気で一度死にかけてから、1年半死についてずっと苦悩している間に、それに気が付きました。
生きているからこそこんなに苦悩しているんだなと。
だったら色々と心が感じること全てが、自分を生きていると実感させるものならば、苦しいこととか悲しいこともすんなりと受け入れられました。
その分色々と無感動になった気はしますが。
そんな私に友人達は何ゆえ人生相談をするのでしょうか。
基本私は自分の身に起こったことを、ただあるがまま受け入れているだけなのですが、それがある種の悟りのように思われるようです。
また大袈裟なと思うんですが。
本当は私は誰かにアドバイスできるような人生を歩んでいませんし、能力は無いんですけどね。
まあそれでストレスが解消されたり、悩みが吹っ切れるのであればと、大人しく聞いて自分が思ったことは返すのですが。
友人が満足するので、それ以上は言いません。
私に害が及ばなければ、それでよいので。
いつものことですが、文章が支離滅裂になってますね。
何だかんだで今日は気分が下がっているようですね。
かと言っていつも気分が上がっているわけではありませんが。
基本感情のアップダウンが少ない方だと思っているのですが。
特に怒りとかは最近感じたことは無いんですけどね。
それでも私は神などではありえないですから、やっぱり感情は自分でコントロール出来ないほど起伏するんですね。
読まれる方は、その辺をご注意ください。
仕事がうまくいかないことって多々あります。
人間ですから、全てを完璧にすることなんて出来ません。
まして私のような能力の無い人間は、相当努力しないととてもではないですが、まともに仕事なんて出来やしません。
とにかく人の3倍は頑張らないと、他の人と同じようには出来ないんです。
勉強でも運動でもそうでした。
今もそうですね。
でも努力は嫌いな人なんです。
基本的に自分に才能は無いと諦めているので、努力をすることは無駄だと思っているので。
というわけですので、当然出来ることなんてあるわけないですね。
もう救いようが無いダメ人間です。
私は自分を形容するならば、偽善者、臆病者、無能者、自己中心、現実逃避、ってのが似合ってると思います。
こんなんで何で生きているんでしょうかね。
生きている価値も意味ものに。
では何で生きているのかと言うと、死ぬのが怖いから。
それ以外の理由はありません(キッパリ!)
生きていてそれ以上のことって無いのに、無理に生きている必要も無いと思いますから。
生きていると色々と楽しいと思うこともありますし、辛い、悲しいと思うこともあります。
でもそれは全て生きているからこそ感じることであり、と言うことは生きていないと何も感じられないわけですから、生きていること以上に良いことも悪いこともありえないはずなのです。
本気で一度死にかけてから、1年半死についてずっと苦悩している間に、それに気が付きました。
生きているからこそこんなに苦悩しているんだなと。
だったら色々と心が感じること全てが、自分を生きていると実感させるものならば、苦しいこととか悲しいこともすんなりと受け入れられました。
その分色々と無感動になった気はしますが。
そんな私に友人達は何ゆえ人生相談をするのでしょうか。
基本私は自分の身に起こったことを、ただあるがまま受け入れているだけなのですが、それがある種の悟りのように思われるようです。
また大袈裟なと思うんですが。
本当は私は誰かにアドバイスできるような人生を歩んでいませんし、能力は無いんですけどね。
まあそれでストレスが解消されたり、悩みが吹っ切れるのであればと、大人しく聞いて自分が思ったことは返すのですが。
友人が満足するので、それ以上は言いません。
私に害が及ばなければ、それでよいので。
いつものことですが、文章が支離滅裂になってますね。
何だかんだで今日は気分が下がっているようですね。
かと言っていつも気分が上がっているわけではありませんが。
基本感情のアップダウンが少ない方だと思っているのですが。
特に怒りとかは最近感じたことは無いんですけどね。
それでも私は神などではありえないですから、やっぱり感情は自分でコントロール出来ないほど起伏するんですね。
今日はひょっとしたら漫画やアニメであるような世界が現実になるかも知れないお話しです。
ある種の細菌の全遺伝情報(ゲノム)を含んだDNAを人工的に完全合成することに成功したと、アメリカの民間チームが発表したそうです。
できたのはゲノムの合成までで、細菌そのものをつくったわけではないということですが、これはかなりの成果だと言えます。
というのもこの成功で、望み通りのDNAを持つ「人工生命」をつくり出す技術に一歩近づいたことになるからです。
有用な人工微生物の開発につながる可能性がある一方、生物兵器開発に悪用される恐れも指摘され、こうした研究の監視や規制の在り方をめぐり議論が起きるのは必至でしょう。
技術的なものよりも倫理面で大きな課題があるのは間違いないです。
クローン技術もそうですが、万一にもそうして産まれた命の人権はどうなるのかといったことなどが色々と言われるでしょう。
ちなみにゲノムの合成というのはウイルスのような極小の生物では既に実現していました。
ですが細菌のように大きなゲノムの合成は技術的に困難だったのです。
それを細菌の中では最小クラスのゲノムを持つ「マイコプラズマ・ジェニタリウム」のDNAを、設計図である遺伝情報を基に約100の区画に分けて化学合成。
それを特殊な酵素を使うなどしてつなぎ合わせた後、酵母菌に組み込んで完全なゲノムを得たのだということです。
できたゲノムは、意図的に取り除いた病原性にかかわる遺伝子を除き、自然の細菌が持つすべての遺伝子を持っていたということで、まさにスーパー最近と言えそうですね。
まだまだ細菌レベルでの話ですので、『人工生命として産まれた人間』というのは先の話でしょうが、そんな夢物語と笑っていられる時代でなくなったのは確かです。
果たして人はどこまで科学を進歩させるのでしょうか。
新しい技術を手に入れることは素晴らしいことです。
ですが人は神にはなれないことは忘れてはならないと思います。
命は人が作るものではなくて、生まれ育むものですから。
研究者達も、所詮人でしかないことは忘れずに、さらなる発展に努めて欲しいものです。
ある種の細菌の全遺伝情報(ゲノム)を含んだDNAを人工的に完全合成することに成功したと、アメリカの民間チームが発表したそうです。
できたのはゲノムの合成までで、細菌そのものをつくったわけではないということですが、これはかなりの成果だと言えます。
というのもこの成功で、望み通りのDNAを持つ「人工生命」をつくり出す技術に一歩近づいたことになるからです。
有用な人工微生物の開発につながる可能性がある一方、生物兵器開発に悪用される恐れも指摘され、こうした研究の監視や規制の在り方をめぐり議論が起きるのは必至でしょう。
技術的なものよりも倫理面で大きな課題があるのは間違いないです。
クローン技術もそうですが、万一にもそうして産まれた命の人権はどうなるのかといったことなどが色々と言われるでしょう。
ちなみにゲノムの合成というのはウイルスのような極小の生物では既に実現していました。
ですが細菌のように大きなゲノムの合成は技術的に困難だったのです。
それを細菌の中では最小クラスのゲノムを持つ「マイコプラズマ・ジェニタリウム」のDNAを、設計図である遺伝情報を基に約100の区画に分けて化学合成。
それを特殊な酵素を使うなどしてつなぎ合わせた後、酵母菌に組み込んで完全なゲノムを得たのだということです。
できたゲノムは、意図的に取り除いた病原性にかかわる遺伝子を除き、自然の細菌が持つすべての遺伝子を持っていたということで、まさにスーパー最近と言えそうですね。
まだまだ細菌レベルでの話ですので、『人工生命として産まれた人間』というのは先の話でしょうが、そんな夢物語と笑っていられる時代でなくなったのは確かです。
果たして人はどこまで科学を進歩させるのでしょうか。
新しい技術を手に入れることは素晴らしいことです。
ですが人は神にはなれないことは忘れてはならないと思います。
命は人が作るものではなくて、生まれ育むものですから。
研究者達も、所詮人でしかないことは忘れずに、さらなる発展に努めて欲しいものです。
先ほど実家より無事に戻ってまいりました。
途中一時的に吹雪に見舞われましたが、無事に帰って来れました。
一先ずはホッと一息というところです。
で昨日も小学校の同級生達とプチ同窓会。
そして結婚したり、子供が生まれたりした同級生の話題で盛り上がり、果たして自分は何時なのかと、一緒に哀愁を背負ってみたりと、なかなか楽しかったです。
それを受けて、ちょっとしたデータの紹介。
アメリカの研究者が、夫婦間で感情を押し殺す人々は早死にする傾向があり、夫婦げんかが健康に役立つ可能性があるとする研究結果を発表したそうです。
研究チームでは、調査対象の夫婦を、不当に攻撃されたと感じた際に双方が怒りをあらわにするグループ、双方が怒りを我慢するグループ、妻だけが我慢するグループ、夫だけが我慢するグループの4つのカテゴリーに分類して、17年も追跡試験したそうです。
すると怒りを我慢した人たちは怒りをあらわにした人たちよりも早く死亡する確率が2倍だったと言うことです。
はあ、つまりはストレスをうまく発散できなかったということなんでしょうかね。
研究者のコメントとしては「長生きがしたければ、自分が不当な攻撃を受けていると認識するのは健康的であり、それについて話し合い、解決を図ろうとするのはより健康的なことだ」と言うことです。
喧嘩といってもやたらめったとするものではなく、お互いの意見をぶつけあって、お互いに良いところ悪いところを直しあってより良い夫婦生活にしていくことが大事だと言うことですね。
途中一時的に吹雪に見舞われましたが、無事に帰って来れました。
一先ずはホッと一息というところです。
で昨日も小学校の同級生達とプチ同窓会。
そして結婚したり、子供が生まれたりした同級生の話題で盛り上がり、果たして自分は何時なのかと、一緒に哀愁を背負ってみたりと、なかなか楽しかったです。
それを受けて、ちょっとしたデータの紹介。
アメリカの研究者が、夫婦間で感情を押し殺す人々は早死にする傾向があり、夫婦げんかが健康に役立つ可能性があるとする研究結果を発表したそうです。
研究チームでは、調査対象の夫婦を、不当に攻撃されたと感じた際に双方が怒りをあらわにするグループ、双方が怒りを我慢するグループ、妻だけが我慢するグループ、夫だけが我慢するグループの4つのカテゴリーに分類して、17年も追跡試験したそうです。
すると怒りを我慢した人たちは怒りをあらわにした人たちよりも早く死亡する確率が2倍だったと言うことです。
はあ、つまりはストレスをうまく発散できなかったということなんでしょうかね。
研究者のコメントとしては「長生きがしたければ、自分が不当な攻撃を受けていると認識するのは健康的であり、それについて話し合い、解決を図ろうとするのはより健康的なことだ」と言うことです。
喧嘩といってもやたらめったとするものではなく、お互いの意見をぶつけあって、お互いに良いところ悪いところを直しあってより良い夫婦生活にしていくことが大事だと言うことですね。