BLOG作成・2006/10/2
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1月17日、という日付を見ると皆さんは何を思い出されるでしょうか。
私にとっては、これは悲劇を表す日付です。
1995年1月17日午前5時46分。
神戸を中心とした阪神地区とその周辺を襲った『阪神淡路大震災』の日だからです。
当時まだ子供だった私は、神戸の隣で震災に会いました。
幸いにも家族や家はほとんど被害はありませんでしたが、通っていた学校は全壊し、電車は半年間も不通になり、家を無くした友人もいましたし、本当に大変でした。
そして、亡くなった同級生もいました。
今でも、この日はそういった時のことを思い出して、気持ちが沈んでしまいます。
でもあれから13年も経ったわけですね。
あまり自分ではそれほど昔の実感はありません。
やはり崩れ落ちた高速道路や鉄橋、無残な街並みを直接この目で見ていたからでしょうか。
その光景は決して忘れることができません。
改めて自然の驚異の前に、人は無力であると言うこと。
人間は地球の支配者ではないということを思い知らされます。
そして13年という日数を感じられるものもあります。
当時小学生低学年だった子供達も成人しました。
そして小学生は、皆震災を知らない世代になりました。
悲惨な出来事ですから思い出したくない気持ちもあるのですが、子供達に同じ思いをして欲しくないのも確かですから、当時のことが風化しないように、地震の怖さ、地域の人達との繋がりの大切さを伝えていきたいです。
人間関係が希薄になっているこんな時代だからこそ。
最後に、震災で亡くなった方々、その後の心労で亡くなられた方々のご冥福を祈り、ご遺族の方々が健康で暮らしていきますように、お祈りいたします。
私にとっては、これは悲劇を表す日付です。
1995年1月17日午前5時46分。
神戸を中心とした阪神地区とその周辺を襲った『阪神淡路大震災』の日だからです。
当時まだ子供だった私は、神戸の隣で震災に会いました。
幸いにも家族や家はほとんど被害はありませんでしたが、通っていた学校は全壊し、電車は半年間も不通になり、家を無くした友人もいましたし、本当に大変でした。
そして、亡くなった同級生もいました。
今でも、この日はそういった時のことを思い出して、気持ちが沈んでしまいます。
でもあれから13年も経ったわけですね。
あまり自分ではそれほど昔の実感はありません。
やはり崩れ落ちた高速道路や鉄橋、無残な街並みを直接この目で見ていたからでしょうか。
その光景は決して忘れることができません。
改めて自然の驚異の前に、人は無力であると言うこと。
人間は地球の支配者ではないということを思い知らされます。
そして13年という日数を感じられるものもあります。
当時小学生低学年だった子供達も成人しました。
そして小学生は、皆震災を知らない世代になりました。
悲惨な出来事ですから思い出したくない気持ちもあるのですが、子供達に同じ思いをして欲しくないのも確かですから、当時のことが風化しないように、地震の怖さ、地域の人達との繋がりの大切さを伝えていきたいです。
人間関係が希薄になっているこんな時代だからこそ。
最後に、震災で亡くなった方々、その後の心労で亡くなられた方々のご冥福を祈り、ご遺族の方々が健康で暮らしていきますように、お祈りいたします。
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