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BLOG作成・2006/10/2
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『SEED SHINE』が終了して、3週間ほど経ちました。
その間、色々な方からお祝いの言葉やら、感想やらをいただきました。
ありがとうございます。

ご意見の大勢は、続きが見れたみたいで良かった、というものでした。
私自身も若干消化不良といいますか、この続きが見たい、あって欲しいという思いがありました。
しかしそれを製作者側に臨むわけにもいかず、結局自分が理想とする続きの話を、自分で作ってしまった、という作品でもありましたが、皆様にも楽しんでいただけたのは良かったと素直に思います。

また毎週更新していたことで、毎週楽しみができたというご意見も多数いただきました。
私自身も願掛けと言いますか、一定のペースで更新することで、創作をそれなりにスムーズにできるように、かつ途中で投げ出さないようにということを心掛けました。
また声援をいただける度に、期待にお応えしたいと思うようになりました。
毎週更新が続けられたのは、やはりそうした声に支えられてということが大きいと思います。
自分が好きなように話を膨らませてきましたが、それでも面白いと言ってくださる皆様の力がなければ、きっとここまで来れなかったでしょう。
改めて自分は1人だけでは出せない力が、色んな人の支えや助けを得て出せるものだということを実感しました。

これからもまだまだ皆様に叱咤激励されながら、自分が楽しい、面白いと思えるものをご提供していきたいと思います。
自分が面白くないものを作っても、絶対他の人に楽しんでいただけるわけはないので、そこは拘っていきます。
そんな中からではありますが、また皆様の心に残るお話が描ければ、また思っていただければ幸いかと存じます。

最後に改めて、ここまでご声援ありがとうございます。
これからもどうぞよろしくお願い致します。
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内藤VS亀田のボクシング世界戦から既に四日が経過しましたが、あの試合が残した問題というのは大きいと思いますので、敢えて私なりの意見をまとめたいと思います。

いきなりであれなんですが、正直亀田兄弟の態度はあまり好きませんでした。
強さに自信を持つことは良いのですが、あそこまで相手を卑下するのは、もう下品の域に達していると何となく嫌な気分になっていました。
それでもまあ、人それぞれの生き方もありますし、多少の敬語が使えないのは、何も彼らだけに限ったことではないので、あまりそれらのニュースは見ないようには意識していました。
そして今回の試合。
仮にも15歳も上のチャンピオンに向かって、あの言い方は傍若無人もいいところです。
そして仮にもスポーツマンである以上、最低限のルールは守るべきでしょう。
そうでなければ、彼らはボクシングをスポーツとは捉えていないと思われても仕方が無いかも知れません。
厳重処分が下ったことは、妥当なことだと考えます。

腕力の強さと、人の心の強さというものは、別物だと私は思っています。
人から尊敬されるということは、その両方を兼ね備えているものだと。
そのどちらかが欠けても、それは得られないでしょう。
今はもう別の話題で持ちきりですが、相撲界の朝青龍問題も、その心の部分にいろいろと問題があったのではないでしょうか。

またそれらを煽った世間もまた、一度反省した方が良いのではと思います。
周囲が時には諌めたりしていれば、あそこまで傍若無人にならなかったのではと思うと、しっかりと注意してあげる大人達が足りなかったのかなとも思います。
そして批判をする以上、自分達もまたその批判に対してどんな対応を取るのかを試されるということを理解しましょう。
批判するのが必ずしも悪いことだとは思っていませんが、批判をするからにはその代わりとなる案が提示できたり、正解となる答えが提示できて、初めて批判できるものだと、私は思っています。
そうでなければ、批判をした相手と同列の存在にしかなりえません。

今回の問題をただの一個人や一家族だけの問題にしてはいけないと思います。
我々もまた反面教師として、学び、考えていかなければ、この問題の根本は解決できないと、私は危機感を持っています。
巷で話題になった脳内メーカ。
遅ればせながら私も試してみました。
しかしながら、名前だけでその人の考えが分かるということはありえないと思いますので、話のネタでやってみたというところです。
姓と名の間にスペースがあるかどうかだけで、結果が大きく変わるのですから、まあ信憑性は話半分というところでしょう。

とは言いながら、やってみて若干の失笑が漏れました。
本名で姓と名の間にスペースを最初に入れてやってみた時と、スペースを入れなかった時で、同じ文字が無かったというのもありましたし、何か極端な偏りが見られたからです。
何より、スペースを入れずにやってみた時、脳内及び目の前の視界が『苦』という文字一色で締められていた時は、笑うしかありませんでしたね。
一体何をそんなに苦痛に思っているのやら・・・。

ちなみにサイトを運営している”小鳥遊 新生”の名前でも試してみました。
嘘偽りを言っているつもりも無いですし、無理に飾った言葉を使っているつもりもありませんが、実際の名前と違う名前を使っている以上、一応は”小鳥遊 新生”という人格の仮面を被って演じている、というところはあるのかな、と思いましたので。
で結果は・・・(確認中)。

さすがにちょいとばかりへこんでしまいました。
土曜日の朝になると何かとうずうずしてしまう小鳥遊です。
今日も予定通りに更新。

まずは素敵な頂き物。
相賀様より、拙宅の『SEED SHINE』のタイトルロゴをいただきました。
長編の連載としては終了しているのですが、素敵なうたい文句もつけてくださって、改めてSHINEの魅力を引き出していただきました。
ありがとうございます。
以降、作品はそのタイトルロゴをクリックして閲覧できるようになります。
また改めて、予想以上に多くの方に読んでいただいて、色々な反響というか、反応があって、皆様には本当に感謝しております。

で、そのお礼というわけでもないのですが、SHINEの続編的な短編話を一つUpです。
きっとあの2人ならこんな日々を過ごしているのではないかなと。
何を書いているのかよく分からない文章ですが、とにかく2人は幸せなんです。
書いていて自分で羨ましくなるほど。
そんな雰囲気が伝わればな、と思います。
突然ですが、貴方は今生きているこの瞬間を、幸せだと思っていますか?
たぶん色々楽しいこともあるでしょうが、人間関係に苦しむこともあります、自分の思い通りに行かないこともあります、傷付けられることもあります。
それでも今生きているのだから、私は幸せな方だと思っています。

何故なら、よく考えてみてください。
生きていなければ、そんなことを感じることも思うこともできないわけです。
苦しみから解放されるということは、何かを感じること、それは楽しいと思うこと、嬉しいと思うことも同時に棄てるということだと、私は思っています。
それを甘えと呼ぶのは言い過ぎなのかも知れませんが、生きていてつまらないと言うことは、生きたくても生きられない人にとって、侮辱にも等しい言葉なのではないでしょうか。

実際に人はいつ死ぬかは分かりません。
ある日突然事故にあうかもしれませんし、突然病気になるかもしれない。
その確率が低すぎるために、普段我々は忘れている、或いは考えないようにしているだけです。
でもそのことに気がついたとき、どうすればいいのか。
私の出した答えは、いつ死んでも大丈夫なように、悔いの無い様に、今できることを全力でやること。
いつどこで間違っているか、思った通りにできていないか分かりませんけど、少なくとも、全てのことは生きていることを実感させてくれるものだと捉えています。
喜びも、悲しみも、痛みも。
全ては生きているからであり、全ては自分が生きていることを実感できるものだと。
それがやりたくてもできない人が世界にはたくさんいる。
それを思うと、自分は相当に幸せな方ではないでしょうか。
少なくともほとんど死に対する恐怖を感じずに、今と言う時間の生を感じ、未来を語ることができるのですから。

だから今の私は生きているということ以上のことは望みません。
それ以外のことは、ただあるがまま、起こるがままに受け入れられれば、人生を全うした時、きっと幸せだったと振り返られると思うから。
そして他人に迷惑をかけないようにはしながらも、自分がやるべきと思ったときは、とことんまでやっていこうと思います。
これは私の心に対する、私自身への誓いでもあります。
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